ファミコンのゲームカセットの形状デザインはメーカーによっていくつかの種類がありました。印象が強いので、当時他のメーカーもやればいいと思った方もいるでしょう。しかし実は、やりたくてもできない事情がありました。
デザインの違いは製造方法の違い
2022年12月、ファミコン初期のゲームカセットのデザインについて、任天堂が商標を出願していたという話題がありました。ここでいうデザインとはラベルのことですが、ファミコンのカセットは形状もさまざまだったことをご存じでしょうか?
例えばコナミのカセットは向かって左側に穴が開いていました。これは子供がひもを通して首から下げるためのものと言われています。他にも発光ダイオードが光るアイレムをはじめ、サンソフト、ジャレコ、タイトー、ナムコ、バンダイといったメーカーのカセットは独自の形状でした。他のメーカーもやればいいのにと思ったのは筆者だけではないはずですが、実はやりたくてもできない事情があったのです。
ファミコンのゲームカセットは任天堂が一括して製造していました。メーカーは任天堂に完成したゲームが入ったマスターROMを提出するのとあわせ、製造して欲しい本数を伝えます。任天堂はその分だけ製造してメーカーに卸すのですが、製造費はメーカー持ち、ゲームカセットも買い取りで、1本あたり2~3千円程度だったと言われています。当時は各メーカー最低10万本は製造していたと思われ(※1)、少なくとも「2~3億円×タイトル数」が任天堂に入って来ます。実に「おいしい」やり方で、この委託生産方式がいわゆる「任天堂商法」です。
ところがこの商法の例外となっていたのが前述したメーカーで、ファミコン初期に参入した古参です。彼らは任天堂が委託生産方式を確立する以前から自社生産でゲームを製造しており、そのため独自デザインのカセットを作ることができたのです。そして製造コストを下げる努力をすれば価格に反映することもできました。
当時をご存じの方は、ナムコのゲームカセットが安かったことを覚えているでしょうか? 例えば『ワルキューレの冒険 時の鍵伝説』(1986年)は3,900円でした。この時期のファミコンゲームは通常4,900円、高めで5,500円が主流だったので、学校でも話題になったものでした。
なお、任天堂が委託生産方式を採用した理由は「アタリショック」(※2)の再来を恐れたからだと、任天堂が公式に述べています。
(※1)全ファミコンゲーム中、売上本数の第50位が『ファイナルファンタジーII』(1998、スクウェア)で76万本です。この7分の1だったとしても10万本です。
(※2)アタリショックとは、アメリカのアタリ社が自社の家庭用ゲーム機用のゲームを販売するにあたり、何の制限も設けなかった結果、大量の駄作が出回って消費者離れが起き、業界全体が一時崩壊した現象です(諸説あり)。
からの記事と詳細 ( 多彩なファミコンカセットのデザイン 実は「自由じゃない」?ブームの裏で大人の事情も - マグミクス )
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