Q: Go To トラベルキャンペーン、日本経済のためにも出かけたほうがいいでしょうか?
A: 健康か経済か
感染は拡げたくないけど、海外からの観光客の激減で壊滅的な被害を受けている観光業は支援してあげたい。「あちらを立てれば、こちらが立たず」です。なんとかしてあげたいけれど、感染は拡げたくない。だから、悩む。それしかないと思います。だって、「こうすれば万事まるく収まる」という正解がないんですから。
誰が考えたって、人の行き来が増えるほど感染拡大のリスクは高まる。感染抑制のためには、理屈では全員が自宅から一歩も出ないのが一番効果的です。そうすれば感染はいずれ終息する。でも、そんな生活をいつまでも続けられるはずがありません。経済が回らないとかいう以前に、人間が壊れる。
ダニエル・デフォーの『ペスト』には、17世紀のロンドンのペスト禍の時に、大量の食糧を買い込んで、屋敷を釘付けにして閉じこもり、ペストが終息してから外に出てきて「え、あんた生きてたの?」と周囲をびっくりさせた人の話が出てきます。でも、その人は精神のある部分が壊れてしまっていたんじゃないかと思います。囚人を半年独房に閉じ込めておくと脳にはっきりと器質的な損傷が生じるそうですから。
「健康か経済か」という二者択一的な選択を迫る人がいますけれど、実際には、健康を優先するあまり、外に出て、人と触れ合うことを止めてしまうと、人間の心と身体は回復不能な仕方で傷みます。だから、僕は「外に出るか/自閉するか」の判断は、最終的にはひとりひとりが自分の心身の状態を基準にして決めたらいいんじゃないかと思います。
僕はこの夏海水浴にも行きましたし、温泉旅行も武道の合宿もやりました。お客さんが来なくて困っている定宿に行って応援したいからです。
僕の場合は多少の健康リスクを引き受けても、そうした方が僕の心身の健康にはプラスになると判断しました。誰かに決めてもらうことではありません。みんな自分のことは自分で決めましょう。
Q: 最近、巷で多くなっているZoom会議で気をつけることがあったら教えてください。
A: 「気配」が伝わらない
Zoom会議は僕もいろいろやっていますが困るのは、次に誰が発言するかうまく予測できないことですね。生の会議だと、気配でなんとなくわかる。ちょっとした表情や息づかいで、「あ、この人、次に何か言いたそうだ」とわかる。でも、Zoomだと解像度があまりよくないバストショット画像だけですからその「気配」が伝わらない。だから、よく発言がぶつかります。話がまだ終わってないのに腰を折ったり。逆に、それを気づかって、言いたいことを一息がまんしたせいで、誰も何も言わない無意味な沈黙がしばらく続く……。
だから、いま程度のカメラとマイクの精度だと、会議を長く続けるとひどく疲れますね。対面の会議だったら、腕を組むとか、足を前に投げ出すとか、身を乗り出すとか、メモをとるとかノン・バーバルなシグナルで「言いたいこと」がだいたい察知できるので、相手の顔を必死に注視する必要なんかない。Zoomに関しては時間を対面の半分に短縮することを基本ルールにしませんか?
Q: 21世紀に入って、世界中で貧富の差が広がっています。こうなると、マルクス主義は復活するでしょうか? いまからでも読んだほうがよいでしょうか?
A: マルクスは何度でも甦る
マルクスが復活する気配はありますね。白井聡さんの近著『武器としての「資本論」』が売れてます。マルクスの資本論の解説書ですよ。いくら白井さんのロジックの切れ味がよいとはいえ、資本論を正面から解説した本が7万部売れるというのはたいしたものです。斎藤幸平さんもまだ30代ですけれど、最年少でドイッチャー賞をとったマルクス研究者です。白井さんと同じく、怖いもの知らずで、スケールが大きい。
彼らのような若い世代のマルクスの読み方は、僕たちの世代までの教養主義的な読書ともセクト主義的な読書とも違います。読み方がもっと深いし、実践的です。思想的利器としてのマルクスを縦横に活用している。
それにしても「マルクスは何度でも甦る」と思いますね。いつの時代の、どういう歴史的状況でも、「マルクスだったらどう言うだろう」と仮定すると思いがけない展望が広がってくる。そんな思想家は他にはなかなかいません。
でも、7月の都知事選では、社会主義的な公約を掲げた宇都宮健児や山本太郎を抑えて、小池百合子が約60%の得票率で圧勝しました。有権者は何を基準に都知事を選んでいるのか、どのような政策を選好しているのか。
選挙後のアンケートだと、有権者たちは「小池百合子は弱者に対するいたわりがない」とか「本当のことを言わない」とか答えていました。それがわかった上で投票している。どうしてそんなことになるのか?
たぶん今の日本では「勝った人間が正しい。多数派を制したものが正しい」というイデオロギーが蔓延しているからだと思います。
長い物には巻かれろ
選挙で過半数をとったということと掲げた公約や政治的主張の真偽理非の間には相関がありません。圧倒的多数派の意見が結果的に国を滅ぼした例は歴史上無数にあります。多数派というのは単に一時的、相対的な多数者のことで、ある時点で頭数が多いということはその主張が一般的に正しいものであることを意味しません。当たり前です。
でも、今の日本ではそうなっていない。多数を制するものは「正しいこと」を述べているから多数を制しており、少数派は「間違ったこと」を言っているから少数にとどまっているのだという推論をする人が多い。だから、現職知事はいま現職にあるわけだから「正しい」のだろうと推論する。人間的には問題が多いし、公約もほとんど実現させられなかったが、彼女が現に権力者である以上、これに逆らうべきではない。こういう考え方を「事大主義」と言います。「長い物には巻かれろ」とか「寄らば大樹の陰」とか、昔からあるしけた処世術に過ぎないのですけれども、現代人はいつのまにかそれが「しけた処世術」ではなく「クールな生き方」だと信じ込むようになった。だから、「勝って欲しい人」ではなくて「勝ちそうな人」に投票する。
東京がどういう都市になって欲しいのか、どういう行政を実施して欲しいのか、その明確な希望が有権者の側にないんだから仕方がありません。そもそも現代人はこれからの社会のあり方について「希望を語る」ということをしたがりません。
「レジスタンス」を知らない人たち
たぶん、「希望を語ること」が格好悪いと思っているんでしょう。だって、「希望を語る」人は要するに現在不遇だということですから、論理的に言えば弱者・敗者だということになる。「弱者・敗者は間違った生き方をしているからそうなったのだ」というのが事大主義的推論ですから、「希望を語る」ということはイコール「間違っている」ことになる。
一方、強者・勝者は現状に満足しているので、未来について特段のビジョンはない。こういう世界になって欲しいという希望がない。「希望がない」ということ自体が強者であることの証明だと見なされている。だから、「多数派にいたい、強者・勝者の側に身を置きたい」と思っている人たちは競って「希望を持たない」ように努める。「現状でいいじゃないか。何が不満なんだ。じたばたしても、何も変わりゃしねえよ」と冷笑することで自分が「支配する側」にいるような錯覚が得られる。
希望を語らない理由の一つは「今あるシステム」とは違うシステムが存在していたということを知識として知らないからだと思います。学校教育の「成果」なんでしょうけれど、世界史の知識がごっそり抜けている。
最近いちばん驚いたのはカミュ論を書いて送稿したら、後で編集者から「レジスタンス」に注を入れて欲しいと言われたことです。
編集者がちょっと気になって周りの若い編集者に僕の原稿を見せたら、「パリ解放」も「ヴィシー政府」も「ペタン元帥」も意味がわからないと言われたそうです。「レジスタンス」を知らない人たちの耳に革命や抵抗が空語にしか聞こえないのは当然ですね。
歴史を知らない人たちには、いま目の前にある現実が「あるべき唯一の現実」に見えてしまう。だから、希望を訊かれると「もっと金が欲しい」「もっと暇な時間が欲しい」というレベルにとどまって「こういう社会を実現したい」という希望を語る言葉が出てこない。
白井さんの本も斎藤さんの本も、若い人たちが「今目の前にある現実以外の現実」を想像するための手がかりになるはずです。そういうものを読みたいという若い人が出て来たのならいいんですけど。
うちだ・たつる
1950年生まれ。神戸女学院大学名誉教授。思想家、哲学者にして武道家(合気道7段)、そして随筆家。「知的怪物」と本誌スズキ編集長。合気道の道場と寺子屋を兼ねた「凱風館」を神戸で主宰する。
Words 内田 樹 Tatsuru Uchida
Illustrations しりあがり寿 Shiriagarikotobuki
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October 31, 2020 at 07:32AM
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第67回 「健康か経済か」、みんな自分のことは自分で決めましょう。──内田樹の凱風時事問答舘 - GQ JAPAN
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