日山畜産(東京都)は東京食肉卸市場を拠点に、高級肉の卸売りを手掛けています。4代目の村上聖さんは、大学院で経営学修士(MBA)を取得し、経営のスリム化を実現。自社の強みの「目利き力」を生かすため、1頭ずつ違う牛肉の味を、顧客に分かりやすく伝える仕組みも構築しました。
張り合いのある営業を求めて
日山畜産は、創業110年を誇る日山グループの1社です。1912年、創業者の村上禎一さんが、広島県福山市で食肉卸売業と小売業として立ち上げました。28年には日本橋人形町で食肉卸売業と小売業を始めて、その後、すき焼き割烹なども経営。現在は、高級牛肉を扱う精肉店としても知られています。 グループ全体の従業員数は143人(2018年時点)です。 67年、仕入れ・卸売業を行う日山畜産と、小売業・店舗経営を行う日山に分社化しました。村上さんは創業者のひ孫にあたり、2016年に日山畜産の4代目社長に就任しました。 「子どもの頃から実家が精肉店ということは知っていましたが、父親が怖いタイプだったこともあり、あまり仕事について話すことはありませんでした。次男なので『継ぐ』という話が出ることもなく、かなり自由にさせてもらっていました」 大学進学後は、新卒で大塚商会に入社。「営業ができるようになればつぶしがきく」という軽い気持ちだったといいます。3年間、オフィス機器の営業を経験して転職を考え、 家業への入社を父親と相談しました。 「コピー機の営業は、1枚何円になるかというコスト面が中心になるので、面白みが感じられなくなりました。肉ならコストだけでなく品質でも差が付けられるし、プロとプロとのやり取りなので、張り合いのある営業ができそうだと考え、入社しました」
父と競り場でケンカ
入社後、大きな枝肉を切り分けたり、肉を真空パックに詰めたりする作業を担当しました。3、4年現場を経験した後、希望していた営業と衛生管理の仕事にあたりました。 兄は家業を継がず、税理士になっていたため、村上さんは「自分が会社を継ぐだろう」と考え始めました。しかし、営業をしながらSQF(米国の食品安全システム認証規格)を取るために奮闘していたところに、東日本大震災が発生。急激に家業の先行きが厳しくなりました。 「これはまずいと感じていましたが、父が経営について教えてくれるわけではありません。しかも、父は競りに行くと、『一期一会だから』と、売ることを考えずにいい牛を全部買っちゃう人だったので、よく競り場でケンカしていました。会社の存続のためにも早く経営を代わったほうがいいと思いつつ、経営のことは何もわからないので、悩んでいました」 村上さんが自宅でそんな悩みをこぼすと、メディアの仕事をしている関係で、様々な経営者から話を聞くことが多かった妻から「私があなたの立場なら、MBAを取るために経営の勉強をする」と言われました。また、大学院に通っていた兄からは、職場から近くて通いやすい大学院を選ぶようにすすめられました。 村上さんは、東京食肉卸売市場の向かいにあった多摩大学大学院のMBAコースを選びます。直属の上司(現専務)は、2年間、午後6時に仕事を終えられるように、協力してくれました。社長の父親には内緒でした。
からの記事と詳細 ( 「このままでは畳むしかない」と自ら社長に 牛肉卸4代目が信じた「目利き力」(ツギノジダイ) - Yahoo!ニュース )
https://ift.tt/3yg0Q01
No comments:
Post a Comment