西洋社会の歴史は、感情と理性の間にある葛藤の変遷だ。それら2つの優先順位の争いの歴史でもある。有機的なアール・ヌーボーに続いて幾何学的なアール・デコが生まれたのも一つの例だ。
1980年代、イタリアのミラノを中心にメンフィスというグループのデザイン活動があった。戦後イタリアデザインを代表するエットーレ・ソットサス(1917〜2007)を中心に活動し、建築家やデザイナーが参加した。影響力は強く、日本からも磯崎新(1931〜2022)、倉俣史朗(1934〜1991)、梅田正徳氏(1941〜)が仲間入りした。
メンフィスは80年から10年近く、近代デザインの元祖とも呼ばれるドイツのバウハウスの流れをくむ工業的なデザインと戦い、新しい世界を築いてきた。60年代以降のポップカルチャーの系譜にある新しい表現を探る運動でもあり、機能を重視しない、幾何学的でカラフルな家具や雑貨を発表し続けた。カールトンという名の書棚を見ていただきたい。収納力を度外視している。ユーモアをもって、大量生産が依拠する合理性を批判しているのだ。このメンフィスに今改めて光が当たっている。
メンバーだったミケーレ・デ・ルッキ氏(1951〜)は、当時30歳前後の若手だった。今は巨匠と呼ばれる。そのデ・ルッキ氏にミラノのオフィスで会った。今までの彼の発言を追うと、メンフィスについてあまり語っていないようにみえる。まずその理由を尋ねた。
「メンフィスには情熱をもって取り組んだ。しかし、あれはソットサスの思想に基づくプロジェクトだったので、私がメンフィスを語るのは相応(ふさわ)しくないと考えてきた」と奥ゆかしいコメントが返ってきた。それでも、もちろん、語るべきことは語ってくれる。
メンフィスが活動した80年代は、カリフォルニアが新しい世代には羨望の的であった。60年代以降のヒッピー文化はまだ残り、反逆精神やカジュアルなスタイルが好まれていた。スティーブ・ジョブズがマッキントッシュコンピューターで巨人IBMと闘い始めようとしていた頃、家具分野でメンフィスは同じ方向を見ていた。
デ・ルッキ氏は「メンフィスは時代の精神を表現することに賭けたアバンギャルドであった。私自身も、このデザインがカリフォルニアではたして受けるだろうか、という考え方をしたものだ」と語る。そしてメンフィスは毎週、世界のどこかの雑誌の表紙を飾った。製品は限定された数しか市場に出ないから、高額のコレクターアイテムになった。しかし、買えない若い人たちもメンフィスに熱狂したのである。
メンフィスの中心人物だったソットサスは60年代以降本格的にイタリアの事務機器メーカー、オリベッティのデザインコンサルタントを務めていた。真っ赤なタイプライター「バレンタイン」を覚えておられる方も多いだろう。ソットサスが「メンフィス後」に書き残したメモに次のような言葉がある。
「人はオリベッティの仕事は大変だったでしょうと私に言う。しかし、私にとってより難しいのはメンフィスだった」
オリベッティが求めるデザインは技術による問題解決が中心だった。他方、メンフィスが注力したのは時代を映し、文化を創造するデザインだ。後者の難易度が高いとソットサス自身が認めていた事実は傾聴に値する。当然ながら、当時と今では文脈がまったく違う。
「当時にも石油資源の限界や環境問題があった。だが、世界中が気候変動で騒然としている現在とはレベルが異なる」(デ・ルッキ氏)
80年代は大量生産や合理的思考にまだ期待が圧倒的に大きかった。それらと違った方向への探索が必要な2023年、メンフィスが経験した、意味を生む苦しみを想像する意義は大きい。
電灯の普及によってろうそくが一時衰退した。にもかかわらず、明るさという機能ではなく精神的なゆとりを提供するものとして、市場ではろうそくが復活した。ろうそくに新しい意味を人々が見いだしたからだ。今、同じことは多くの分野で求められている。
ただ、メンフィス独自のメッセージ力を失った点もある。石の建物やハイカルチャーに代表される重厚な文化が主流な時代にあって、メンフィスは軽みや表層の装飾を肯定的に捉えた。だが、現在それらの特徴はもはや珍しくなく、批判にすらなりえない。だからこそこちらの解釈力が強く要求される。
過去の前衛的なデザインに特化している企業グループにイタリアン・ラディカル・デザイン(伊ピエモンテ州)がある。彼らの狙いはイタリアのデザインヒストリーにある「反逆的」資産を再解釈し、新しい価値を提供することだ。オーナーはワイナリーも経営する実業家で、メンフィスの製品をビジネスとして継いできた企業も22年から傘下にある。
かつて市場だった先進国だけでなく、新興国市場も視野に入れてメンフィスの製品を紹介しつつある。ミラノでは新たに展示スペース「メンフィス・ミラノ・ガレリア」も開いた。コレクター向けの1万ユーロを超える高額な商品はもとより、若い人に手が届きやすい小物や照明器具も、数百ユーロからそろっている。
11月には倉俣史朗の回顧展が東京で始まる。デザインヒストリーとアバンギャルドの意味が再び問われている。
ビジネス・文化デザイナー 安西洋之
[NIKKEI The STYLE 10月15日付]
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